「ゲーミフィケーション」(井上明人)読了
「ゲーミフィケーション」(井上明人)読了。
最近のバズワード「ゲーミフィケーション」をそれなりに理解したくて、読んでみた。
要するに、ゲームで使われている動機付けなどの心理的なテクニックを、他の世界(たとえば顧客の獲得や継続)に利用しようという話のようだ。
いかにゲームを開始させるか、継続させるか、より高みに導くか、飽きさせないか、などを実現するためのテクニックが、ゲーム企画・製作の世界ではさまざまに考案・整理されていて、それを活用できるだろうということ。それぞれになるほどと思わせる原理で、興味深かった。
自分の用途は、ビジネスではなくて教育になるのだが、さてどうだろうか? 幾つか思いついたこと。
- 入り口の敷居を低くする。 教育でも、一旦「この科目、難しそう」となると、それが心理的な障害になってしまうようで、それ以上踏み込んでもらえない。最初の部分はやさしくして、簡単で実用的な(そうだったのか!と思わせるような?)問題から入るのが良いのだろう。
- やさしい一方では飽きるので、継続させるには徐々に難しくし、その上で達成が目に見える形になっていなければならない。更には、その目に見える成果フィードバックが短い時間で提供されなければならない。 この辺が教育での難しいところかもしれない。 数学の先生はいつも、しばらく何をやっているか分からない中で格闘して、初めて目の前が開けるものだ、それは山登りと同じで、藪の中の道をとぼとぼと登って頂上に至って絶景が見えるようなものだ、と言っていた。 これは考え方を変えて、少しずつ進歩が見えるようにし、しかもスコア化するなどして比較しやすくし、更には友達と競わせるような仕掛けも考える必要があるのかもしれない。 教育上あまり好ましくないとは思うのだが。
- 少し難しい目の問題を用意して、ボーナス点や特別なアイテムを提供するようなことも要るのかもしれない。
- ステップは小さい方がよさそうだ。 また、すぐにスコアがフィードバックされることが必要なので、人間が採点するわけには行かない。 学んで欲しいポイントを、機械採点が可能なおもしろい問題に置き換えなければならない。これも難しい問題だ。
- これができるとつぎはこれ、というような、ステップの順序が必要らしい。
- できれば個人ゲームではなくて、クラス全体で競いつつ一緒にできるとよいかもしれない。 教えあうのもいいだろうし、競い合うのもいいだろう。
などと考えてみたが、特に教育応用は失敗している例がゴマンとあるので、難しいのだろうか。 その昔子供に買ってやった算数ゲーム(シューティングゲームで、計算が正しいと点になるような)も、すぐに飽きてしまった。 よほど全体の構成を(カリキュラムも含めて)考えておかないとダメだろうな。
<2012年7月11日追記>
日経ビズカレッジの5月26日の記事「“辛い仕事”を楽しむ方法、ゲーミフィケーションが自分とチームの仕事を変える」での指摘で面白かったのは、
明確な目標が示されて、それに至る方法もある程度提示され、途中の段階で自分がレベルアップしてゆく過程もきちんとフィードバックされる。しかも、少し頑 張れば達成できそうだと感じられるような目標に設定されています。こうした「目標設定>実行>フィードバック」というサイクル全体が緻密にデザインされて いるので、ソーシャルゲームの世界は楽しくなってしまう
ので、
現実の仕事も、このサイクルが達成できるようにきちんとデザインしておけば、あまり辛いと思わずに楽しみながら進んでいけるのでないかというのが、お話ししたいポイントになります
ということである。 これは、いまどきの学生のもっとも求めていること、大学が手を抜き、予備校や専門学校の先生がこれに努力しているポイントだろう。 でも、どうしても「自分のやった昔式の勉強法がいい。ついてこられない奴は大学での勉強の仕方が分かっていない」といったことを言ってしまう先生が多いのである。なかなかここまで降りてこられる先生は少ないのであるよ。(自分も含めて)