WIRED.jp: 「改造や修理もままならない」:著作権の行き過ぎに警鐘

WIRED.jp: 「改造や修理もままならない」:著作権の行き過ぎに警鐘.

まず、この議論には賛成。 著作権保護を使って、機械の保守事業の独占を守ると言うのは、間違っていると思う。

興味深いのは、この議論が実にアメリカ的だと思うこと。彼らは、車の修理も家の改造もすべて自分でやってしまうし、自分でやれることが「よいこと」だという文化を持っている。 だからDIYのお店が繁盛するのだ。

車については、本当に感心する。 どうしてこんな車が走れるのか、と思うぐらい修理を重ねた車が走っている。 たとえば、車体基礎部分(シャーシ)が錆びて崩れてしまったので、代わりに材木を組んでシャーシを補強し、その上にエンジンやボディを乗せている車を見た。 こんなものは、日本では車検を通らないのは当然として、安全性を疑われるだろう。 そもそも車検制度がない(らしい)ので、ヘッドライトの向きがどうのとか、排ガスの調整がどうのとか、それは所有者の責任ということなのらしかった。 (昔=1980年ごろの話ですが) 家にしても、自分で建て増すことができて、「息子の勉強部屋を作ったよ」などは特別なことでもなんでもないようだった。日本でどういう規制がかかるかよく知らない(試したことが無い)が、たとえば電気の配線は資格を持っていない人が勝手にやってはいけないらしい。 その資格を取りたくて、というのはコンセントの増設をしたいと言う程度なのだが、本を見たら、現場の経験が何年だか必要であると書いてある。 電気屋の息子ででもない一般人が、どうやって経験を積めるのか?

つまり、日本では特別な資格を持った人にお願いするのが当たり前なことが、アメリカでは普通の人ができるのが当たり前(本も出ているし)なのであった。だから、自動車の整備マニュアルが、著作権保護の仕組によって、一般人には出回らず、だから修理工の仕事が確保される、という話になるので、この人は怒っているわけだ。 日本人にとっては、車検はそれなりの工場へ依頼するのが当然(自分でも検査できるし、自分で整備してもいいらしいが)なので、あまり問題にならないということだ。

ポイントはおそらく、「著作権」という形で守るのは、筋違いだろう、ということだ。車の整備がプロで無ければ安全が保てないと言うことなら、整備は必ず資格を持った整備工場でするべし、とすればいいのであって、著作権で保護するようなものではあるまい。 どうだろう?

 

日々

Posted by yamanouc