ねとらぼ: 4ステップで誰でもネットショップのオーナーに 基本無料のECサイト作成サービス「BASE」がオープン ~ 「商売」に対する感覚?
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小売り商売への参入のしきいが低くなったということなのだろう。
2つ思うことがある。 1つは戦後の価値観では自分で小さな商売を始めることに否定的だったのかな、ということ。 高度成長期に人々は地方から都会に出て来て最初は単純労働、その子供の世代は何とかして「サラリーマン」にしようとした。つまり、大きな会社に雇われて生活するのが「いいこと」だった。 誰もが大学へ行きたがるのも、同じ価値観に基づくと思う。 で、これからはそれが変わるのかな、ということ。 ネットの発達もあって、この記事に見られるように、小さな商売をすることが容易になった。 また、小さなものづくりをして、その結果を自分で売ることも容易になった。 その結果、多様性が戻ってきたのは、とても素晴らしいことだと思う。
もう1つ。「商売」ということに対する感覚が変わるのか、ということ。 自分の育ちのせい(周囲に商売をする人がほとんどなかった)もあるかも知れないが、サラリーマンを夢とした高度成長社会の中で、人々が「自分で商売をする」世界から離れていったのではないか。 会社は確かに製品を売って商売をするし、その営業マンは直接顧客を相手に商売するし、商売だけをなりわいにする商社のような会社もあるし、それでもみんなサラリーマンなのだが、でも自分の才覚で自分の裁量で商売をする感覚は、やはり違うのではないだろうか。 それが戦後減っていたのが、最近の多様化によって戻ってきているのではないか。
アメリカが偉いわけではないが、私の知っている学生同士の付き合いだったアメリカ人は、商売をいつも視野に置いていた。よく聞く話として、子供の時から、お祭りだとか極端には普通の時に自宅の前で、「レモネードを売る」という「逸話」がある。おそらく逸話であり都市伝説なのだろうが、でも、そんな雰囲気はいつもまわりに漂っている。 だから、何か面白いアイデアを思いつくと、それで商売してみようとする。 KickStarterという、いわゆるクラウドファンディングの仕組があるが、それに商売を提案しようとする人も、またそれを支持してお金を出そうとする人も、どちらも商売人である。
戦後の(もしくは明治以降の?)日本人にうすれていた「商売」の感覚が、ネットやこの記事のような仕組によって復活するのであれば、それは社会を活発にし、おもしろくするだろう。 うまく育ってほしいと思う。