終戦記念日に思う

今日は終戦記念日である。正しくは「敗戦記念日」とでも呼ぶべきか?

ふと、終戦の詔勅についてネットで覗いてみた。有名な「音源」については、軍部(の一部)の奪還騒動が有名だが、
それ以前にレコード盤(玉音盤)を作成する技術者、そして夜半ほぼ零時ごろになって2回も繰返して読み上げられた(読んだのではない、というご意見もあろうが)昭和天皇陛下のお気持ち、さまざまに感ずるところがある。

何よりも今年になって、いやこの歳になって、ようやく気づいたことは、この詔勅の文言の価値であった。戦後の「太平洋戦争は悪、その指導者は天皇」といった教育を受け、こまかく読むことを怠ってきたことを今恥じる。巷間では「天皇陛下は国民(臣民)のことを思ってくださる」という話が流布しているのに関わらず、また昭和天皇を取上げたいくつかの書籍から「昭和天皇のお気持ちは戦争に反対であった」という記述を読んでいるにも関わらず、理屈としてはそれらが分かっていても心のどこかで「戦争遂行の責任者の象徴」という刷り込みがあったように思うが、終戦の詔勅を読み直して、昭和天皇のお気持ちがよく分かった気がした。

(天皇が自分で書かれたのではない、というツッコミは横に置こう。本当のお気持ちは、他人には絶対に分からないだろうから)

「国体」という言葉は天皇にとっては「日本が1つの国として存続すること」だったのだろう。それ以上の、つまり国家集権的な体制を継続する、ということは必ずしも意味していなかったのかもしれない。それが戦後の「自分は退位してもよい」という発言と繋がるのかもしれない。とにかくこの時点での「国体の護持」というのが、属領でも植民地でもなく、1つの独立したエンティティとして存在すること、民族が一まとまりであること、を意味していたのだろう。
国を失った民族、属領とされた民族、国を分断された民族、いずれも悲惨なのは、今の世界を見ても分かるとおりである。

朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 
常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 
或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ
信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム

宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 
任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 
道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 
世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3935/ww2/syusen.htmlよりコピー)

詔勅全体に込められた昭和天皇の終戦当時の思い、時代背景を併せて鑑みて、65年目の今日もう一度噛締めてみた。