日経ビジネス: お父さんはなぜ「ネコ」でも「コリー」でもなく「白い犬」だったのか?

日経ビジネス: お父さんはなぜ「ネコ」でも「コリー」でもなく「白い犬」だったのか?

タイトルに惹かれてつい読んでしまったが、いろいろとあるのだと思った。 まずトップが(何事にも?)興味を持たなければダメという話。 そのとおりだと思う。 「やっとけ」ではダメで、「ほうほう、それで?」と身を乗り出してくるから成り立つわけですね。

もう1つ面白かったのが、最後は感覚だ、と言うこと。論理的にデータを積み重ねる、比較する、というのではできない。 で、依頼する側がこれを選択できるには、全幅の信頼、不平等な比較しかない。

ここから脱線します。 大学の入試でどの学生を採るかということで、同じようなことが言えるのではないか。 われわれの様な普通の大学はともかくも、一流で特色を持った大学は、学力テストなどで決めるべきではない。 「この学生を育ててみたい」と考えるべきで、それは不平等でもいい。 正確には、そういうメガネに適うならば、他の条件=金持ちとか引きがあるとか=によらない、と言うのが平等なのでしょう。 企業の入社試験だって、(この場合は小さいところほどそうだが) 平等なんて考えずに、とにかく自分たちが「これだ」と思う人を採るのでいいのです。

妙な「平等」が幅を利かせていて、そのために画一的な人生を量産している。 多様な価値があって、どれかの価値に当てはまったときに「お前はイイ」と言われるような仕組でよいのではないか、と思うときがあります。 何もみんな大学へ行かなくてもいいではないか、大学を出たからと言って「企業」へ就職しなくてもいいではないか。 いろいろな考え方や生き方があってもいいではないか。

でも、大学入試を、「先生の好きに選んでいい」とし、先生が「こいつは教え甲斐がありそうだから合格」と決めたら、多分石つぶてが飛んでくるでしょうね。